遍照寺

百光山 明王院 遍照寺 御本尊『紅頬梨色阿弥陀如来

 正徳四年(1717年)道隆寺の戒?寶嚴和尚が伽藍を建て隠居寺とし、京極藩の祈祷寺として栄え、 明治36年には麗嚴和尚が本堂を学舎として鶏鳴学館を開設していた。
 遍照寺さんは、さぬき広島へ渡るフェリー乗り場にほど近い所にあります。先代のお寺様と親父がどういうきっかけで懇意になったかは定かではないのですが、そのご縁に甘えて、真言宗のお墓を建てるときに、アドバイスを頂いたりしております。
 今回、HPに丸亀寺探訪を始めるとお話したところ、ご本堂・閻魔堂などの写真撮影を、ご快諾いただけました。遍照寺さまの墓地には、お大師様のお姿を映したお墓がいくつかありますが、どのお墓もよいお顔をしておいでです。
 昨今、お施主様のご予算に合うよう石仏を中国からの輸入製品でご用意することが増えてきましたが、よく見ると顔が中国人なのです。仏さまやお地蔵さんのお顔は、彫り手の石工の顔に似てくると聞いたことがありますが、やはりそのような気がします。