浄通寺

向陽山 浄通寺 御本尊『阿弥陀如来

 承元元年(1207年)法然上人の警護の武士として讃岐に随行した秦通明が5年後仏門に入り浄阿弥と号し柞原に庵を結ぶ。16世紀後半から続いた戦乱期に寺の記録は悉く失われたが、慶長年間(1596~1615年)明了が城南に寺を建立再建。以後、明了を中興の祖(第1世)とする。元文五年(1740年)7世弁立のとき、宗古町へ転地、翌寛保元年本堂再建を出願し、延享元年(1744年)に再建する。平成元年(1989年)5月4日寺基を現在地に移す。
 浄通寺さんは、うちと同じ土器町西にあるお寺さんで す。元々は宗古町(そうこまち)にあったお寺さんですが、JRの高架工事に伴い、二十年ほど前に土器町にお引越ししておいでになりました。
 ご本堂をお建てになるとき、墓地も整備されて、近代的な雰囲気がしますが、お引越しの時にお持ちになった山門がお寺の歴史を物語ってくれています。 山門をくぐると、本堂の角に植えられた銀もくせいが目に飛び込んできました。そして、靴脱ぎ石の脇の水引草に、こころが和みました。境内の石畳や庭石たちはさりげない配置ですが、それでいて充分な存在感をただよわせています。
 また、本堂の前にはサツキやもみじ、五葉の松などが、お互いを生かすように植えられています。お寺さんの玄関には、年代物の李朝家具がいい具合に置かれてあります。今回ご無理をお願いして、庫裏の中庭を撮らせていただきました。かなり歴史の ありそうな、なつめ型の手洗い鉢や、前のお寺にあった灯篭の台石を元に、笠や火袋などを復元した石灯籠を拝見していると、お寺の移築時に石工事を手がけられた、うちとご縁のある石材商会のH社長や数年前に引退されたN棟梁のことが思い出されました。