威徳寺

摩尼珠山 寶樹院 威徳寺 御本尊『毘沙門天

 宇多津にあり聖通寺の末寺であったが、慶長6年(1601年)この地に移ってきた。
 威徳寺さんは北平山町にあります。元は宇多津にあっ たのですが、慶長6年(1601)に生駒家の殿様の命で北平山に移っておいでになりました。山門やご本堂は改修工事がされていますが、以前の山門やご本堂の生かせる部分は生かし、どうしても手を加えなくてはならないところは、新たに木材を用意し、元々の建築様式に沿った造りになさったそうです。お寺の北側にある客殿の一枚板に施された彫刻も、お参り後、ゆっくり拝見させていただきました。
また、ご本堂の手前には赤いお社におまつりされたお稲荷 さんがあります。お稲荷さんに、これからのご縁と商いの無事を願って手をわせ、お寺の南側にある大きな宝篋印塔(ほうきょういんとう)を拝見し昔の丸亀の人々の信仰心の深さを再発見させていただきました。
 それから、丸亀商店街の年末のせいもん払いが始まって間もないころは威徳寺さんが、抽選会場で特等は高野山へのご招待だったそうです。
 お城の北側にある丸亀高校が甲子園に初出場したとき必勝祈願をしたのも威徳寺さんだと、今回ご住職さんにお話しをうかがい初めて知りました。お寺には上杉謙信も信仰した毘沙門天さんを祀られていますが、毘沙門天さんは、戦いをつかさどる神様ですから丸亀高校が必勝祈願に行ったのも無理もないのですが、丸亀高校の前身でもある丸亀高等女学校の前身が威徳寺さんに在ったという文言の書かれた額を拝見し、『ご縁のあるところで、必勝祈願かぁ~』と妙に納得してしまいました。
 お寺の毘沙門天さんは、平成の世も変わることなく丸亀の北の守りとして、鎮座していらっしゃいますが、昭和の時代、丸亀に住む人たちにとって、お寺さんがどれほど身近な存在であったかと思いをはせました。